ジュリー(沢田研二)ってあんなに綺麗だったのに、いつの間に太ったんだろう?
甘いとろけるようなハンサムボーイだったのに、今はちょいジャバザハット入ってるもんね。
自分の中でふと素朴な疑問が湧きあがったので調べてみました。
<2019年1月25日 2019年武道館3days直後のジュリーの写真を追加しました>
<2023年2月20日 削除された動画を近い時代のものと差し替えました>
- ジュリー(沢田研二)とは?
- ジュリー(沢田研二)がおデブな巨漢の肥満になったのはいつ?
- 19歳から23歳まで ザ・タイガース時代の若かりし頃のジュリー(沢田研二)
- ジュリー(沢田研二)23歳から24歳まで PYG期&ソロ活動初期
- ジュリー(沢田研二)25歳から29歳まで あまりにも美しすぎる!
- ジュリー男ざかり!振り切れコスプレ期(ヴィジュアル期)30代
- ジュリー若干全体的にゆるんでくるけど、まだまだセクシー!男の色気が全開の40代
- ジュリーが現在のジュリーに近づいていく50代
- ジュリー還暦!60代になりました
- 結論!ジュリーはいつ太ったのか?
- ジュリー関連の記事いっぱい書きました!
- よくぞここまで読んでくださいました。他にも音楽のこと書いてるのでどうぞ。
ジュリー(沢田研二)とは?
1948年6月25日生まれの70歳(2018年10月現在)。
日本の歌手、俳優、作詞・作曲家。
京都府京都市育ち。
身長171cm。
ザ・タイガースのボーカリストとしてデビューし、グループサウンズブームを牽引する。
解散後はソロシンガーとして人気を博す。
ニックネームのジュリーは、沢田が女優のジュリー・アンドリュースのファンだったことに由来する。
(渋い俳優になっている岸部一徳は背が高かったのでビートルズの「long tall sally」に由来し、サリーというニックネームだった)
ジュリー(沢田研二)がおデブな巨漢の肥満になったのはいつ?
(さんざんな言いようだな…)
という謎を動画で紐解いていきます。
デビューから順を追っておいかけていきますよ〜っと。
19歳から23歳まで ザ・タイガース時代の若かりし頃のジュリー(沢田研二)
19歳(1967年)の時にザ・タイガースのボーカルとして、シングル「僕のマリー」でデビュー。
ジュリー(沢田研二)が20歳の頃(1968年)リリースした「花の首飾り」の動画を発見!
ただ、ボーカルがジュリーじゃなくて、加橋かつみなので、ジュリーはたまにしか登場しないので見逃さないでくださいね。
(ちなみに加橋かつみさんは、私が子供の頃に同じ団地に住んでいました)
▼動画が削除されたため、デビュー当時のインタビュー動画をどうぞ▼
本日2月5日はジュリーのデビュー52周年記念日です。1967年2月5日に、ザ・タイガースのボーカルとしてシングル「僕のマリー」でデビューしました。✨👬🕺🏻👬✨
— たーちゃん (@sksasalfee) 2019年2月4日
ザ・タイガース
沢田研二/ジュリー
岸部一徳/サリー
森本太郎/タロー
加橋かつみ/トッポ
瞳みのる/ピー(動画の中には出てきません) pic.twitter.com/j3Ewogm0F3
1971年、ジュリー(沢田研二)23歳の時にザ・タイガースは解散。
ジュリー(沢田研二)23歳から24歳まで PYG期&ソロ活動初期
ザ・タイガース解散後に、新バンド「PYG」を結成。
何年の動画かは不明ですが、PYGハ1971年から72年までの短命バンドだったため、その当時のものと思われます。
ジュリー(沢田研二)とショーケン(萩原健一)のツインボーカルバンドでした。
当時のライブ動画は発見できなかったものの、プロモーション映像を見つけました。
2人ともスターだね。
1971年11月1日にリリースされたソロファーストシングル「君をのせて」のプロモーション映像を発見したのでこちらにどうぞ。
こちらは、ジュリー(沢田研二)推定23-24歳とのこと。
PYGでバンド形態でロックがやりたくてたまらなかったジュリーには、酷ともいえる演歌調のミディアムバラード…
世の中ってせちがらいね。
ジュリー(沢田研二)25歳から29歳まで あまりにも美しすぎる!
ジュリー(沢田研二)25歳。
1973年リリース「危険なふたり」が大ヒット。
第4回日本歌謡大賞を受賞。
ジュリー(沢田研二)27歳。
自身が主演したテレビドラマ「悪魔のようなあいつ」の主題歌、1975年リリース「時の過ぎゆくままに」が累計売上92万枚を売り上げる大ヒット。
自身最大のヒット曲となる。
同年ザ・ピーナッツの伊藤エミと比叡山延暦寺で挙式。
ジュリーが人生で最も美しかった時(だと私は思う)。
動画の伏し目がちのうれいをおびたジュリーを見て欲しい。
たまらんから!
ジュリー(沢田研二)28歳。
1977年リリース「勝手にしやがれ」も89万枚の大ヒット。
曲中に帽子をシュッと飛ばすんよね。
きゃっこいー!
★発掘・懐かし動画★
— ノスタルジック発掘隊 (@Hideki_Kameido) 2019年12月31日
1977年発売の沢田研二さん19枚目のシングル。阿久悠さん作詞、大野克夫さん作曲。帽子を投げるアクションが話題に。日本レコード大賞をはじめ多くの賞を受賞した沢田さんの代表曲
曲名:勝手にしやがれ
歌手:沢田研二
気に入ったらぜひフォローをhttps://t.co/2qKprdHiDw pic.twitter.com/POltUexzLI
ジュリー(沢田研二)29歳。
1978年リリース「サムライ」。
半裸のジュリーエロいっす!
とっても綺麗っす!
4K映像なので、是非見て欲しい!!!
www.youtube.com参考:沢田研二「サムライ」の動画だけたっぷり集めたよ。綺麗なジュリーを堪能しよう!
1978年リリース「LOVE (抱きしめたい)」
スタジオに雨やら雪やら血やらが降る演出が話題に。
ちょっとこの動画の衣装は大仁田っぽい。
第20回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞し、第29回NHK紅白歌合戦ではトリとつとめる。
名実ともに日本のトップスターに!
ジュリー男ざかり!振り切れコスプレ期(ヴィジュアル期)30代
ジュリー(沢田研二)30歳。
1979年。
間奏で瓶に入った液体を口にふくんで霧のように吹く演出が話題に。
大仁田って言った直後に、グレートムタっぽい演出。
マレーネデートリッヒぽいメイクがイカす。
ここらへんから、曲が哀愁漂う歌謡曲からだんだんと、チャラめのロックになっていくんだよね。
1980年の日本が最も景気の良かった時代、お祭り騒ぎみたいな時代を投影されてるなあと、見返してみると関心しきり。
参考:マレーネデートリッヒさん
ジュリー(沢田研二)31歳。
1980年。
糸井重里が作詞して、日本国民の度肝を抜いたド派手演出の「TOKIO」。
話題にはなったけどさほど実はヒットしてないんだよね。
オリコン最高位8位。
テレビのバラエティ番組「俺たちひょうきん族」のタケちゃんマンはTOKIOの衣装のオマージュだよね。
他の人と比べると細いけど、以前のジュリーと比べると、ちょっとだけ太ったかなあ。
参考:タケちゃんマン
カラーコンタクトをして登場し話題になった「恋のバッド・チューニング」。
デビッドボウイの「ブルージーン」っぽいカラコン+メイク+髪型だよなあと思って調べたら、この曲が80年リリース、「ブルージーン」が84年リリースだった。
ぎょえー!ジュリーすごいー!!
参考:David Bowie - Blue Jean
ジュリー(沢田研二)32歳。
1981年。
「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」は、第23回日本レコード大賞・金賞を受賞してます。
ネオロカビリー調のボンボンベースと、歪ませまくったギターサウンドが超かっこいいんや!
ジュリー(沢田研二)33歳。
1982年。
「おまえにチェックイン」。
初期の佐野元春っぽいサウンドだなと思って調べたら、編曲が伊藤銀次だった。
景気の良い「ア!軽い!」サウンドです。
メロディーが弱く、印象の薄さがいなめない。
太ったというか、顔がむくんでいるのかな?
このジュリーをみると、なんとなくカールスモーキー石井のことを思い出す。
ジュリー(沢田研二)34歳。
1983年。
「晴れのちBLUE BOY」。
オリコン最高位11位。
アダム&ジ・アンツに影響を受けた、アフリカっぽいライオンキングみたいなサウンドに仕上がっている。
この曲もメロディー弱いよね。
ていうか、ジュリーは流し目と甘い声が魅力なので、明るすぎる曲はちょっと…
ジュリー(沢田研二)35歳。
1984年。
オリコン最高位20位。
ちょっと頬のあたりがゆるんできた気がするぞ…
ジュリー(沢田研二)36歳。
1985年。
渡辺プロダクションから独立、傘下の"株式会社ココロ"を設立し、レコード会社もポリドールから東芝EMIに移籍。
どうやら事務所ともめた模様。
「灰とダイヤモンド」は、楽曲が歌謡曲路線に戻っています。
ジュリーは憂いのある曲が似合うわ。
本人はアップテンポなロックナンバーが好きなんでしょうけど、ビジュアルも声質も歌謡曲が似合うんよね。
皮肉なことに。
休養期間から戻ってきたら、急にガッチリしました。
ムチムチしてます。
<残念…動画が削除されてしまいました>
ジュリー(沢田研二)39歳。
1988年。
「TRUE BLUE」のMV。
かなりムッチリしていて、若かりし頃の京極夏彦っぽい。
ジュリー若干全体的にゆるんでくるけど、まだまだセクシー!男の色気が全開の40代
ジュリー(沢田研二)42歳。
1990年。
「DOWN」を夜ヒットで披露。
アルバム収録曲で、前年の紅白歌合戦で披露されていた。
化粧をした古田新太に見えなくもない。
ジュリー(沢田研二)43歳。
1991年。
これ以降、新曲をリリースしてもテレビに出演していない模様。
PVを見て、ジュリー痩せたなあと思ったのだけれど、あごをさいごまでしゃくらせていて、一度もあごをひいていないだけだった。
あごをしゃくらせると、顔がすっきり見えるというテクをジュリーに教えてもらいました。
ジュリー(沢田研二)46歳。
1994年。
久しぶりのテレビ出演映像発見。
同年リリースしたシングル「HELLO」を披露。
「第45回NHK紅白歌合戦」の映像です。
画像が荒くてわからないのだけど、ヘソだしルックしてない?
ま、まさかね…
ジュリー(沢田研二)49歳。
1997年。
テレビ出演映像はないものの、同年リリースの「サーモスタットな夏」を披露するライブ動画発見。
中条きよしがリオのカーニバルに行った的な映像に見えるよ。
▼動画が削除されたため、テレビ出演時の動画をどうぞ▼
沢田研二 / サーモスタットな夏 (1997.8)pic.twitter.com/zYQkKOvMrg
— 90's音楽bot II (@90smusicbot2) 2019年12月6日
ジュリーが現在のジュリーに近づいていく50代
ジュリー(沢田研二)52歳。
2000年。
1999年にリリースしたシングル「鼓動」をコンサートで披露しています。
胸元を大きくはだけた衣装を着用。
ファンならたまらんだろうけど、冷静に見るとなんかいろいろとすごい。
▼動画が削除されたため、別のライブ動画をどうぞ▼
☀鼓動 [Si] 1999/8/6発売
— JULIE LIVING LEGEND (@Legend_of_JULIE) 2019年12月26日
この曲はBALLADである
シンプルなエレキサウンドで淡々と歌われる
そして サビから間奏に向けて劇的に変化する🗯️#沢田研二 の圧倒的な声量 そして大音量のエレキサウンドに驚く方も多いだろう
現在も #JULIE お気に入りの1曲#ジュリー の声量は増すとも衰えていない💥 pic.twitter.com/MsRX6OO1lJ
ジュリー(沢田研二)53歳。
2001年。
ミュージックフェアに出演した時の映像。
前年のコンサート動画よりも、かなりすっきりしている印象。
太った時のGLAYのTERUみたいな感じ。
ダークカラーのスーツを着ておけば、決して肥満という感じではない。
年相応の体型をした、ハンサムな美中年なのだ。
<残念…動画が削除されてしまいました>
ジュリー(沢田研二)55歳
2003年
ここ!
美中年からぽっちゃりしたおっさんになったのここ!
この動画はコンサートがフルに収録されてるので、みていただいたらわかるのですが、衣装替えがかなり多く、55歳になっても、太っても、やはりファンにとってはジュリーは永遠のアイドルなんだなあと。
客観的にみたらコスプレしてるホリエモンに見える…
<残念…動画が削除されてしまいました>
ジュリー(沢田研二)59歳。
2007年。
フリフリのギンガムチェックのシャツ…
ジュリー還暦!60代になりました
ジュリー(沢田研二)60歳。
2008年。
今度は彦摩呂に見える…
ジュリー(沢田研二)62歳。
2010年。
オフィシャルMV。
後半登場します。
ジュリー(沢田研二)65歳。
2013年。
テレビのドキュメンタリー映像です。
まだ、この時点でジュリーは太ったおじさん。
ジュリー(沢田研二)68歳。
2016年。
画像しか見つからず。
この時点では既に顎髭が生えて、2023年現在のジュリーに近づいています。
出典:沢田研二 古希のライブは武道館も/芸能/デイリースポーツ online
ジュリー(沢田研二)70歳。
2019年。
画像しか見つからず。
2019年1月のツアーファイナル武道館3days直後の画像。
前年のさいたまスーパーアリーナドタキャン騒動の心労からか、若干ほっそりしたように見受けられます。
チェックオンチェックの着こなしに玉虫色のベンチコート。
ファッションがなんかすごい。
出典:沢田研二の日本武道館公演「無料招待券」について本人直撃│NEWSポストセブン
結論!ジュリーはいつ太ったのか?
40代に差し掛かったあたりから、あごに肉がつきはじめて、2003年の55歳になったあたりから、ふっくらしはじめています。
2016年には白髪染めをやめ、顎髭を生やして若づくりするのをやめたようです。
2022年に映画「キネマの神様」で菅田将暉とW主演。2018年のドタキャンでお騒がせしていた頃と比べて体型がスッキリしています。
志村けんさんの代役として引き受けたというのをワイドショーでみましたが、やっぱり歳を取ってもふっくらしていてもジュリーはかっこよかった。
アマゾンプライムビデオで無料配信されています。